創流創意

子と育

 私は花の家、安達の花の始祖、安達式挿花の家元であった安達潮花の次女として生れました。長女を1歳にして亡くした父母は、産声をあげた私にとにかく健やかにと願い、子(トウコ)と名付けました。この字は目へんの瞳ではなく日へんに童で、太陽の子を意味します。
  花の家では毎日、朝夕なくカッチンチョッキンと花鋏の音が止むことはありません。気が付いたとき私は1人の花道家としての道を歩いていました。
  思い起こせば、私は椿に育てられ竹に支えられながら桜を課題としていました。この椿と竹と桜から卒業証書を発行してもらえるとは夢にもおもいません。唯々、ひたすらに果てのない花の旅を続けて参ります。

初代・安達子 平成18年3月10日没(69歳)


安達
花芸安達流[社団法人花芸安達会]
初代/主宰[会長]
平成18年3月10日/歿/69歳

略歴

昭和11年
6月22日 東京に生まれる
父・安達潮花(安達式挿花家元)母・安達武子
太陽=日の童/トウコと名付けられた
昭和30年
成城学園から学習院高等科卒業 流派後継者となる
昭和41年
外務省文化使節としてアメリカ大陸4カ国を縦断
昭和43年
独立して〈安達子制作室〉を設立
昭和44年
EXPO使節としてオセアニアを一周
昭和45年
〈安達子セミナー〉を設立
昭和48年
〈花芸安達流〉を創流
昭和54年
文部大臣より〈社団法人花芸安達会〉の設立許可

昭和56年
生家・安達式挿花を吸収し統合
平成 2年
安達 育 を父・潮花の生家より養女に迎える
※広島県呉市/浄土真宗本願寺派・浄念寺17世住職長女
平成 6年
個人展「道」桜仙抄を東京・新宿三越美術館で開催
※入場者が82,308名と花道界に記録を樹立
平成 7年
全国21都市で創作活動「花芸展」と「花手前」の開催を発足
以後6年間で完了する
平成 9年
外務省「国際交流基金」の派遣で香港・パキスタン
平成10年
EU日本委員会の派遣でスウェーデンで「花手前」
※花手前は安達子の独自の創作活動で 花と生け手と
観客が その美の熟する時を共有する
平成15年
企画展「椿物語」を東京・日本橋三越本店で開催
※入場者数49,201名 花道界に新機軸を樹立
平成17年
安達 育 を副主宰に就任させ後継者とする

著書

『花芸への道』  昭和57年 講談社
『伝/安達潮花』 昭和62年 安達潮花顕彰出版委員会
『花芸365日』 平成6年 小学館
『道/桜仙抄』 平成6年 六輝社
『椿しらべ』 平成11年 講談社
『椿物語展』図録 平成15年 サンオフィス
『花を生ける』 平成17年 農文協

公職

環境省「中央環境審議会」委員
国立大学法人「東京学芸大学」経営協議会 委員
(財)日本花普及センター 理事
東京都「東京緑化推進委員会」 委員長
(財)日本花の会 理事
(財)日本盲導犬協会 評議員

大学

東京農業大学 客員教授
山野美容芸術短期大学 客員教授
恵泉女学園 客員教授

私事

日本ツバキ協会 名誉会長

 私は母・安達子の父、私には祖父にあたる安達潮花が生れた広島の浄念寺に生を受けました。そして小学校5年生の折に養女となるべく上京しました。  
  大学に入ると同時に、母から卒業して3年後の
・平成17年1月に花芸安達流の副主宰となる事
・全国の支部を花芸フォーラム“育と共に”で行脚すること
・体得した安達の花を著書として出版する事
の3つの課題を告げられました。どれ一つを考えても私には荷が重いと心配でしたが、どうにか乗り越えて今日あります。自分にも解らない力、幼い頃より花の家で培われた何かに支えられたのだと思っています。これからも日々の研鑽をかさね、後継者としての責任を果たして参ります。  安達 育

二代・安達子 平成18年3月27日襲名


安達 育

略歴

平成2年
初代主宰 安達子の養女として上京
平成14年
「東京農業大学」地球環境科学部造園科学科卒業
平成17年
副主宰に就任
平成15年
安達子の世界の名花「椿物語展」を日本橋三越本店で開催  入場者4万9千人余

公職

(財)日本花の会 理事

著書

『花―安達流の花芸』講談社/平成17年刊

編集

季刊誌『花ばさみ』カリキュラム編 編集長

講師

山野美容芸術短期大学 客員教授
「恵泉女学園大学」非常勤講師